●心を満たし活力を
そして調理技術の進歩とともに、ヒトは食嗜好を満足させる美味なるものを追求するようになりました。
この美味なるものを求める本能は、すなわち食欲です。喫食事の内的環境、つまり生理状態や心理状態が食欲中枢神経を刺激し、その結果、食欲は生じてきます。
食事をだれと取るか、食事の際の室内の装飾などといったことは、この内的環境に大きく影響するのです。おいしい食事を心地よい雰囲気、楽しい気分で味わう。その食行動は、生理的に消化、吸収能力を高め食物を有効な栄養素に変えるとともに、心を満たし活力と豊かな人間性をもはぐくんでくれます。
●味覚を科学的に
ヒトの嗜好、おいしさの感度は十人十色です。「絶対においしいもの」と決めつけることは大変難しいものです。このあいまいな味覚を科学的に測る方法として、官能検査というものがあります。
人間の感覚を測定器に見なして、食品の品質の差を区別する「識別テスト」や、好ましさの順位付けをする「嗜好テスト」などを行います。この結果を数値化して、主観的要素の強い味覚の評価に、ある程度の客観性を持たせ、おいしさを科学するための研究に活用されています。
おいしさの尺度は個人差の強いものです。ある居酒屋の主人は、「あそこのおでんがおいしい」と聞けば、必ず出かけて味わうそうです。うわさになるほどの味は、「10人中6人から7人が、おいしいと感じているからだ」と言うのです。
つまり、味の尺度と評価は、そうやって決められていきます。
●おいしく食べる
ところで、「おいしい」とは「美いしい」と書いていました。「日本語の年輪」という本によりますと、古代日本では、「おいしい味がする」というのを「いし、い」と言い、よし、美し、見事だと感心したり、感嘆のときに使ったそうです。そして、室町時代には、食べ物の味が良い場合、男言葉では「うまい」と表現し、女言葉では「いし、い」に接頭語の「お」をつけて「おいしい」と表現するようになり、以来、味の良いものに「おいしい」という言葉を使うようになったとあります。
現代食文化研究家の加藤純一氏は現代の食のルネサンスとして最も求められているものの一つは、「おいしいものを食べる」ことからさらに「おいしく食べる」ことであると述べています。
さらに、加藤氏は「おいしく食べる」ための条件として、「空腹感をもつこと」、「咀嚼力があること」、「調理力があること」などを挙げています。
●作る人の慈しみ
室町時代、宗教家であり哲学者でもあった道元禅師(1200-53)は、修行僧の炊事調理を担当する職、すなわち典座職の者の中から秀でた人物が輩出していることに気付き、本当の悟りとはふだんの生活の中に直接結び付いているものであると痛感し、食事を作るための心得として「典座教訓」を著しています。=「禅・食と心」(三省堂)。
「おいしい味」には、作る人の慈しみ、食べる人への心遣いが、秘められているのではないのでしょうか。おいしい食べ物を作り上げ、食べてもらいたいと願う心は、身体の栄養とともに、心の栄養としても欠かせないものなのです。
●2種類の味を
食物の味は単一ではありません。多くの味を混ぜ合わせることによって、より複雑な味が作れます。味には、2種類の味を一緒にすることで主な味がより一層強まる「対比効果」があります。"おしるこ"を思い出してもらえればおわかりでしょう。少量の食塩を加えることで、砂糖の甘味が強まり、味がぐんと引き締まります。
これとは逆の場合もあります。2種類の味を混ぜたとき、一方または、両方の味が弱くなる「抑制効果」があります。手軽につまめるスナック類は、小麦粉を主体にした揚げものが多く、塩味にうまみを効かせて塩味を和らげています。
このようなものを毎日食べていると塩味に鈍感になり、より強い味を求めるようになります。そして、無意識のうちに必要以上の塩分を取ることになります。
●色も決め手の一つ
食品の色、つや、形なども、またおいしさを左右する決め手の一つです。とは言っても、食品の色は、時間的な経過で変化したり、空気に触れて酸化して変色します。それに調理によって、照りやつやが出たり、加熱で新たな色が作り出されたりします。パンの焼き色などがその例です。
一般に野菜や果物の色は暖色系が多く、食欲をそそる色とされています。ピーマンやトマト、レタスなどは、できるだけ手をかけずにサラダとして、色を楽しみながら食しましょう。そうすることで、多くの各種ビタミンや食物繊維を取り入れることができます。
ホウレンソウのような緑の濃い野菜には、シュウ酸などの有機酸が含まれています。ホウレンソウなどは、茹でると葉緑素とクロロフィルと、この酸が作用して、黄褐色に変わります。食欲減退色になるのです。色よくやわらかく茹で上げるには、真水で茹でるよりも、水に、1-2%程度の食塩を加えて茹で、速やかに冷水に取る手法を用います。
●食欲そそる彩り
赤紫色の紫キャベツやシソは、アントシアン色素を持っています。この色素は、酸性の液に浸すと赤い色を発色します。酢漬けにすると色素の安定性をより高め、梅漬けなど鮮やかな色になります。ナスも同様の色素ですが、鉄やミョウバンを用いると安定した錯塩となり、見るからに食欲をそそる美しい青紫色となります。
昔からわが国では、黒豆を煮るときやぬか漬けの床に釘を入れて、黒豆やぬか漬けの色を鮮やかにしてきました。こうした食物の彩りは、長年の生活経験から会得したもので、その効用は現代科学でも明らかにされています。
現代科学は、私たちに豊かな繁栄をもたらしましたが、その一方で先人の生活の知恵を置き忘れてはいないでしょうか。栄養素も大切ですが、基本は「おいしいものをおいしく食べる」ことです。
これは、簡単なようで意外と難しいものです。日本に比べて外国では、シェフの地位が高いと言われます。それは、「おいしいものを、さらにおいしく食べさせる」優れた調理技術への尊敬のあかしなのです。
「身をたもち生を養ふに一字の至れる要訣あり」「其一字なんぞや。畏(おそるる)の字是(これ)なり」
●正確な教育と実践
東洋の科学者貝原益軒は1630年福岡に生まれ、84歳のとき『養生訓』を書き上げました。中村学園大学近くの福岡市中央区今川2丁目の金龍寺に彼の墓があります。
20世紀の前半、人間の栄養学は主として諸栄養素の役割について研究されてきました。第2次世界大戦後、研究の主流は食物と慢性疾患=心臓病、がん、高血圧、肥満、糖尿病、骨粗しょう症など=の危険因子としの関係に向かいました。食物は何からできているか、また各栄養素は体の中でいかなる役割を果たすかについて現在、私たちは客観的知識を有しています。健康とダイエットについて非常に正確な教育と実践が、日本中いろいろな場所で行われています。
●生命現象と考え
食物栄養学上まだ明らかになっていないことについても、それを明らかにするための多くの方法と研究プロジェクトが可能です。
また同時に、私たちを取り巻く地球環境の問題についても、文字どおり地球的規模で調査研究が行われています。
このように自然(物質とエネルギー)についての科学と技術の発展、客観的知識の拡大と物質的繁栄は、だれしも目を見張るものがあります。この科学万能時代に私たちはいつの間にか生命を生命現象と考えるようになりました。つまり自然科学の中で、生命を物質として観察し、生物と無機的自然との間に、明確な区別をつけないようになってきたのです。
●"いのち"という言葉
その結果、"生命""いのち"という言葉は、本来の意味を失ってきたのではないかと思われます。今日も日常的には「最も大切なもの」「生命の存命にかかわる原動力」といった意味を持って、護符のように使用されています。それが、科学となると"物質"としての見方を強くしているように思えます。
21世紀には、あらゆる人間の科学と技術の中に倫理がよみがえってくるでしょう。もともと健康は価値概念であって、幸福と同様にはっきりと定義しにくいものです。数千年来、国さまざま、人さまざま多様な食べ方と健康法が提唱されてきました。
科学者益軒は、養生訓で食物と運動と養生の3つを説きました。そして、冒頭に書きましたように、養生の肝要な秘訣は「畏の字是なり」と述べ、畏敬の念の大切さを説いています。
●一時代の範囲越え
この言葉、畏れる=恐れる(fear)は、危険や悪いことが起きることを予期して生じる感情に基づいています。これが、社会の発達とともに2つの方向、神に対する宗教と人間に対する倫理の方向に向かいました。神を恐れることは知恵の始まりである(ヨブ記)シュバイツァーの『生への畏敬』の思想は20世紀前半に発表されました。
たとえ人が神を見失ったとしても私たちの営為(いとなみ)は、一個人の生涯、一世代、一時代の範囲を超えた地球的規模で行われることを認識すること。そして、食物も含めてあらゆる生命に感謝する。これが「畏」の現代的意味であり、また今、科学者の倫理が問われる所以(ゆえん)でもあります。
食物の味にも、いろいろあります。甘味、酸味、塩味、苦味、うまみが、その基本の味です。これらの味は、口の中の舌が味覚細胞で感じる化学的な味とされています。これとは別に、食べるときの口の中の触覚、皮膚感覚によって感じる味と、粘弾性、硬さ、滑らかさなど物理的刺激によって生まれる味があります。これらの味は、視覚、聴覚からの情報ととも相互に影響し合って、おいしい食味を形成します。
「人の命は我にあり、天にあらず。人の命はもとより天にうけて生まれ付たれども養生よくすれば長し。養生せざれば短かし。然れば長命ならんも、短命ならんも、我心のままなり」